CHANELの歴史
1909年のブランド創立時から変わらぬ美学は今も衰えることなく存在感を示し続けています。
CHANELの創立者であり初代デザイナーのガブリエル・シャネルは、タイム誌が選ぶ「20世紀で最も影響力のある人100選」において、ファッションデザイナーとして唯一選出されました。
・モノトーンでまとめるファッションは見向きもされなかった時代にリトルブラックドレスを発表。
・男性用が主流だったショルダーバッグの女性用を作ることで女性は両手が使えるように。
・肌着、靴下として使われていたジャージー素材を動きやすいファッションアイテムとして使用。
昨今のファッションを語る上で欠かせないアイテムの始まりはCHANELからだったものは意外に多くあります。
帽子店としてブランドのキャリアをスタートさせたCHANELは、当時カラフルでド派手なものが主流だったのに対し、自身の美の哲学、「シンプルさは全てのエレガンスの鏡」を貫きシンプルな作品を発表し続けました。
2年ほど鳴かず飛ばずの日々を過ごしましたが、当時人気の舞台女優がCHANELの帽子を着用したことをきっかけに人気に火がつきました。
その後2号店をオープンし、アパレルでも旋風を巻き起こします。
当時の女性の装いの中心であった、丈の長いドレスにコルセットで身体のラインを強調するスタイルを ‘窮屈だ’ とし、動きやすく心地の良い素材やシルエットを提案しました。ワイドパンツや作業着などのスボンです。
また「香水をつけない女に未来はない」とし、当時一流の調香師に依頼し香水の販売も手掛けました。

ジュエリーと言えば貴金属に価値のある石がついたファインジュエリーが当たり前の中、予算に関わらずファッションを楽しんでもらいたいとの思いから、コスチュームジュエリーという、人造宝石の製造にも力を入れ、フェイクパール等を使用することで価格を抑えファインジュエリーがなくともデザイン性でファッショナブルになれるという新しい価値観を創り出しました。

およそ15年間の引退を経て、1955年ガブリエルはパリでクリスチャン・ディオールにより発表され女性たちの新しいトレンドに刺激を受け表舞台に復帰を果たします。復帰後すぐには受け入れられませんでしたが、数年ののち、シャネルの新しいスタイルは再び反響を呼びました。
その後アイコンバッグとして不動の人気を誇るマトラッセの原型となる2.55バッグ、シャネルスーツと呼ばれるようになるツイードスーツ、バイカラーのパンプスなどを発表します。どれも今もなお私たちを虜にするシリーズではないでしょうか。

ガブリエルは1971年にこの世を去るまで現役デザイナーとして過ごしました。
1983年、デザイナー職のオファーがカール・ラガーフェルドになされました。
ガブリエルの死後、CHANELはブランドとしてかつての勢いを失っており、彼を取り巻く大方の人の意見はこの職を受けることに対して否定的でした。しかし、彼はオファーを受け、協業しました。当時はデザイナーが老舗メゾンを再興させるという前例はありませんでしたが、彼の発表したコレクションは評価が良く、話題性も伴いました。
結果としてCHANE Lは不死鳥のように蘇ったと評されるまでになりました。
ガブリエルが作った基礎をカールが踏襲し進化させたのです。
2019年に逝去したカール・ラガーフェルドに次いで長年彼の右腕を務めたヴィルジニー・ヴィアールが次のデザイナーとして指名されました。
今なお世の人々を虜にし続けるこのブランドは、ファッションを作ったのではなくスタイルを創ったのだと評されています。
装いという域を超え、価値観、生き方までもに大きな影響力を与え続けるCHANELは永遠のスタイルアイコンです。