GUCCIの歴史
グッチオ・グッチによって1920年にイタリアのフィレンツェで創設されました。
創立当時は乗馬関連の皮革製品を取り扱っており、そこからディアマンテ・パターンのバッグやアクセサリーが人気でした。現在のG Gパターンの原型としてもブランドの歴史を引き継いでいます。
1940年代に入ると戦争による皮革製品不足の中、コーティングしたキャンバス生地を使用したり、日本から輸入された竹を使用することでグッチのラグジュアリーを守りつつブランドは発展していきます。
バンブーハンドルは今でもグッチのアイコニックデザインの一つですね。

まだ若い竹の柔らかさを利用し、熱を加えることでハンドルとして使用しました。現在は日本からイタリアへ竹の輸出に規制がありますが、その時代の商品はオールドグッチとして知られ、年代を指定して品物を探し求める人も少なくありません。
その後1960年代に入ると、シェリーラインとしてグッチのアイコンそのものである緑と赤のストライプ、馬のくつわかわ着想を得たホースビットなどが誕生しました。
この頃販売されたホースビットの要素をより入れたローファーは爆発的な人気を経て、ニューヨークのメトロポリタン美術館の永久所蔵コレクションに加えられています。
GUCCIは4人のデザイナーを一族の中から排出しましたが、その後、ブランドの存続をかけた危機を乗り越え外部デザイナーによって建て直されることとなります。
トム・フォード、アレッサンドラ・ファッキネッティとジョン・レイ、フリーダ・ジャンニーニ、そして現在のデザイナーでもあるアレッサンドロ・ミケーレの4人です。
特にブランドとしての存続が危ぶまれた中デザイナーとしてブランドを復活させ新しい扉を開いたトム・フォードの貢献は偉大なるものでした。
更に2022年までデザイナーを務めたアレッサンドロ・ミケーレは今までのクラシカルなグッチを大胆に改革しただけでなく、ジェンダーフルイドを(ジェンダーが流動的、「自分は男だ/女だ」とはっきりと自身のジェンダー定義をせず、その時々によってさまざまな性別を行き来する考え方のこと)ファッションに取り入れることで大きな波紋を作りました。惜しまれつつもブランドを後にしましたが、今後のGUCCIの行末も期待が膨らみます。
創立者グッチオ・グッチは決して裕福な家庭に生まれたわけでなく、むしろ家計を助けるために早くから職につきました。ロンドンのサヴォイホテルのボーイとしてエレガント、裕福な客層を見る機会に恵まれた彼はホテルの客の身につけるもの、持ち物を通してデザインやファッションに興味を持ちました。どんな境遇にあったとしても精一杯その場でできることを続けていった結果がブランド、GUCCIの成功に繋がったのかもしれません。
イタリア創業でクラシカルなイメージのGUCCIですが、近年はポップやカジュアルと評されるデザインやアイコンも少なくありません。トレンドの真ん中にある音楽業界でも公私共にブランドロゴを纏った装いでメディア露出するアーティストや、音楽の歌詞や曲のタイトルにブランドを使用することもあります。クラシカルでエレガントな創業時のイメージとは変わってしまいましたが、G Gロゴは創業者グッチオ・グッチのイニシャルから、赤と緑のラインも復刻され時代に即したスタイルで今も私たちを魅了し続けていることには変わりありません。

前述したように、ブランドとしての知名度と比例してこの一家を有名にしてしまった問題がありました。家族経営を貫いていたグッチ一家ですが、不本意ながらも後継者問題や家族の不協和により世間を騒がせることとなったのです。この辺りの背景は映画「House of GUCCI」で描かれています。